2018.
04.
16
販促資料との格闘に明け暮れる今日この頃です。
この種の原稿の翻訳、ジツは割りと好きなのですが、ぴったりの表現を探し当てるのに時間がかかり、定型表現の多い治験関連文書の翻訳のようにはいかない。
同じように出来上りまでの日数を見積もるとエラい目に遭います。
以前は、単語やフレーズ単位で「どう言い換えられるか」を考えていましたが、昨秋、「述語から読む・訳す」というワークショップに参加してからは、「どう言い換えられるか」を、文単位まで広げて考えることができるようになってきたような気がします。いったん文を解体して、同じ意味になるようにまた組み立て直す、を意識しながら訳せるようになってきた、みたいな(でも、それは気のせいかもしれなくて、さらに、たいして訳文が向上したようにも思えないところが悲しいのだった)。
ただ、そうすると今度は、「一度解体して日本語として読みやすく」を意識するあまり、「書いてある内容から逸脱する」方向に流れがちになる、という弊害が生じてきました。何ごとも、やると行きすぎてしまうきらいがある、という残念なヒトです>自分。
というわけで、読み直すときは、「内容がはみ出ていないか、何か落としていないか」、いわゆる「内容を足さない、引かない」に気をつけるようにしています。
「気をつけてするのだゾ」という自戒もこめて記事にしてみました。
ただ、販促資料の場合は、「日本人が日本語で理解して営業する」ことを念頭に置いて訳すので、自分の中で、翻訳の自由度が若干高まるような気がします。
その結果、まだまだ「ここまでなら足してない/引いてない」の限界を上手く定められない自分は、不注意に「振り切って」しまうのかもしれません。
試験報告書の場合は、以前、「元ナカの方」に、「そういう文書は英日を対にして確認することが多い」という話をお聞きしてから、「読みやすく」「理解しやすく」を意識しつつ、原文に寄せて、を心がけるようになりました(あくまで「心がけ」です<念のため)。若干語弊があるかもしれませんが、訳文の裏に原文がある程度見えるような、という感じ。
なので、翻訳していても、解釈を間違うことはあっても(いや、本当はあっちゃいけないんですが)、「振り切る」ことはほとんどないような気がします。
この頃やっと、「こんな文書なのでこうする」を考えることが少し楽しくなってきたような気がします。
もう少し若いうちに、ここまで辿り着きたかった(切実)。
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