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2021. 04. 29  

 先日オンライン開催された上記セミナーを視聴しました。

 第1部「訳書を通じて個人翻訳者が考えた機械翻訳」
 高橋聡(JTF副会長・個人翻訳者)

 第2部「機械翻訳の現状と課題、可能性」
 中澤敏明(東京大学大学院情報理工学系研究科 客員研究員)

 第3部 パネルディスカッション
 モデレータ:石岡映子(JTF常務理事・関西委員長、株式会社アスカコーポレーション代表取締役)

 の3部構成です(各氏の敬称略)。
 セミナーの詳細はコチラ↓をご覧ください。
 https://www.jtf.jp/learn/seminar/124


 以下、レポートです。
 (登壇者発言部分には常体や箇条書きを用い、Sayo個人の意見には敬体を用いるほか、「思う」「感じた」「考える」等の語を付加し、できるかぎり各人の発言内容とSayoの感想が区別できるようにしました)
 MT: machine translation(機械翻訳)
 PE: post editing or post editor(ポストエディット、ポストエディター)
 CAT: Computer Assisted Translation(一般にはTradosやMemoQ等の翻訳支援ソフトをいう、CATツールと呼ぶことも)


 第1部:個人翻訳者の視点
 (帽子屋さんはJTFの副会長も務めておられますが、「今回は個人翻訳者の立場で話します」と最初に断りの言葉がありました。また、『機械翻訳 歴史・技術・産業』(ティエリー・ポイボー著、高橋聡訳、中澤敏明解説、森北出版)の内容についての言及部分は――長くなりすぎるため――割愛しました)

 まずは、多言語翻訳において、日本語が現在どのような位置づけにあるかの確認。2000年頃はまだ「日本語は特別」と考えられていたが、(世界では)現在はアジア極東言語の一つという位置づけ。

 また、翻訳者のMTに対するスタンス、翻訳という仕事に対する考え方はさまざまであることも理解しておく必要がある。
 (異なる立場の人間が相手を理解しないまま話をするために、話がかみ合わないことが多いと痛感するとのことです。これプラスMT・PEに対する正しい理解を共通認識としてもたなければ、なかなか建設的な意見交換はできないのではないかと思います)

 *翻訳者のスタンス:
 人手による翻訳を続ける ←(この2つの対極の中間に位置し、迷い揺れている翻訳者が多いと思われる)→ MTを積極的に導入していきたい
 *なぜ翻訳を仕事にしているのか:
 好きだから ←(この2つの対極のあいだのどこかで折り合いをつけて仕事をしている翻訳者が大多数と思われる)→ 生活の手段(割り切り)

 こうした「共通基盤」の話のあと、DeepLを用いて、例文をいくつか検証。素晴らしい訳文が出力されることもあれば、まちがいのあるもの、問題はあるが手直しすれば使えそうなものまでさまざま。ここで、人間翻訳の思考過程(さまざまな選択肢を思い浮かべ、文書の種類・文体・文脈等さまざまな条件を考慮しながら絞り込んでいく)と機械による出力(正解一つ)の違いに関する言及あり。
(この部分に似た内容を扱った、屋根裏通信「『さがす→考える』と『はじめから考える』」も併せて読んでいただければと思います。)
 

 これらの点を踏まえ、帽子屋さんが考える今後:
 *情報の有用性のみが問題となる翻訳は、TMを経てMTに移行するのではないか(ただし当面PEが必要)。
 *コンテンツが重要視される翻訳(内容をきちんと読み取ってほしいもの)は人手による翻訳として残る。
 淘汰と変化は必ず起こるだろう。

 では、翻訳者はどうすればよいのか?→どうしたいかも含め、自分で考えるしかない。
 *PEを極める
 *MTやAIを使いこなす
 *翻訳力を高める方向をめざす(ただし別途収入を得る手段を確保する必要があるかもしれない)
 *違う世界をめざす(この「世界」をどのような意味で仰ったのかが確認できませんでした

 どれか2つをかけもちする(例えば文芸翻訳とPEなど)という未来はまず考えられない(「両立は、たぶん、難しい」)。途中での方向転換も不可能ではないが難しい。

 (PEを極めるという未来は、個人的にはありだと思います。帽子屋さんも仰るように「どちらが優れているかということではなく」、まったく別ものだということなのだと思います。ただ、実際問題、一部に「PEは劣ったもの」という風潮や扱いがあるのも事実です。顧客も翻訳会社も、PEが特殊技能であることをきちんと理解し遇する必要があると思います。)

 (帽子屋さんの考える)MTに関する大きな問題
 →検証を経ていない安易な運用がなされていること。
 MTそのものが悪や問題なのではなく、売り方や運用方法に問題がある。
 たとえば、公共機関におけるMT使用で、してはならないミスが発覚したときの機関の対応を見ていると、修正と謝罪はあっても、原因究明や改善の試みが見えてこない。だから、同じ過ちが繰り返される。社会全体の問題としてとらえて共有すべき。JTFとして関与していくやり方もあるのでは。
  
 最後に、「今後の針路を考えるにあたって参考にしてほしい」と書籍とブログ記事を紹介してくださいました。

『翻訳とは何か: 職業としての翻訳』(山岡洋一)
(Amazonでは中古品のみになっていますが、定価は本体1600円です)

「翻訳者を料理人になぞらえると……」(Buckeye the Translator 2010年12月16日)
http://buckeye.way-nifty.com/translator/2010/12/post-61da.html


 第2部:研究者の視点
 (中澤先生のお話をお聴きするのはこれがはじめてでしたが、とても興味深い内容でした)

 NMTにきちんとしたデータを与えてやると登壇時間(約40分)のあいだにどこまで学習できるか、という「NMTの訓練」を実演。
 (40分ではなかなか難しいが、2時間ほど「学習」させると、ほぼ完璧な訳文を出力できるようになるとのことです)

 このように、学習によって精度を高めていくことのできるNMTだが、どこに区切りを設けるかによって、人間では(気をつけていれば)犯さないようなミスを犯すことがある。
 *分別(区切り)の仕組み上、訳抜け・おかしな繰り返し・数字の間違いが生じるのはしかたがない。「研究者としては、現状あたりまえに起きることと認識しています」
 (できないことをハッキリ「できない」「完璧ではない」と言ってくださったのが、とてもありがたかったです)
  
 (そこでPEの仕事が(当面)必要になってくるわけですが、そのさい注意しなければならないのは、NMTでは、さまざまな種類の解析を論理立てて実行しているのではないということ(この点については、詳細は割愛しますが、中澤先生のお話の中で説明がありました)。つまり、人間が翻訳するさいの思考の流れとはまったく別の過程を経て訳文が生成されているのです。人間の書いた訳文は、たとえどんなに下手なものであっても、翻訳者の思考過程(あるいはなにも考えていないこと)を類推できるわけですが、NMT相手ではこれができないということになります。このことをよく理解し気をつけていないと、PEばかりやることで翻訳に必要な思考回路が最悪破壊されてしまうおそれがあるということを、翻訳者も翻訳会社も重く受けとめるべきではないかと感じました。)

 (私には難しい内容も多く、メモはとりましたが、専門的な内容は割愛。最後のまとめの部分のみ記載します)

 まとめ
 *MTにできることは増えてきている。
 *しかし、依然課題は山積。
 *うまく人手による翻訳をサポートしたい。使用できる場面では使用し翻訳全体の生産性向上に貢献したい、というのが研究開発の目的。
 *可能性は無限大だが、個人的には2014年頃と比較して成長スピードが鈍ってきているように感じる。
 *今後、人手が不要または最低限でよいという翻訳領域は増えていくのではないか。
 *(小説の翻訳は可能になると思うかという事前質問に対し)「分からない」としか答えられない。だが、翻訳にはたった一つの正解訳というものがないことを考えれば、この先、A氏訳、B氏訳、C氏訳にNMT訳を加え、その違いを味わうという未来がないとはいえない(この考え方は面白いと思いました)。

 中澤先生は「翻訳と機械翻訳の座談会」というYouTubeを始められるそう。
 手始めに、今回のセミナーの“延長戦”的なものをやりたいとのことでした。興味のある方はチャンネル登録を!
 https://www.youtube.com/channel/UC4fiKKrfcvQY1dcZkjxfnHQ


 第3部:3者(個人翻訳者・翻訳会社・研究者)の視点
 (この頃にはかなり疲れてきている上に、殴り書き(笑)に自分の見解も混じっております。できるかぎり切り分けましたが、やり取りの文言が正確でない可能性があります)

 翻訳会社(以下ホ):現在の使われ方をどう思うか?
 個人翻訳者(以下コ):(第1部での公共機関の誤訳への言及の繰り返し的な内容なので割愛)
 研究者(以下ケ):MT自体に品質を求めることはナンセンス。(事後確認の入らないNMTは)そういうものだと理解してほしい。受け手の側の情報リテラシーをもっと高める必要がある。

 ホ:今後、翻訳という仕事はなくなると思うか? 業界にも変化があり、MTの導入が進んだ。
 コ:なくなる部分はあるという前提で考えるべき(そういう領域で仕事をしてきた人たちの選択肢については第1部で言及)。翻訳に関わる新たな仕事が創出される可能性もある。たとえばリンギスト。そうした仕事のプロをめざすという道もある。
 ケ:研究者は決して翻訳の仕事を奪おうと考えているわけではない。

 ホ:「翻訳は未来への投資である」と謳い、顧客にもそのように伝えるようにしているが、なかなか納得してもらえない。
 コ:「未来への投資」を謳うからには十分なリターンが必要だが、さまざまな問題が絡んでおり難しい。
 ケ:翻訳によるリターンは測定(定量)が難しい。そこに企業がお金をつぎ込めないのは仕方がない面もある。

 他にも一つ二つ、モデレータ(翻訳会社)が提供した話題があったと思いますが、うまくメモ取りできていないため割愛します。
 最後に、皆さんの話をお聞きしながら私が考えたことを少し。

 私自身もそういうことがありましたが、翻訳会社から「PEやってみませんか」と声をかけられる方は多いと思います(たぶん「これからはMTが増えます」とか「その方が仕事をたくさんお願いできます」などという言葉とともに)。そのとき、PEのやり方は教えてくれても、PEがどんなもので、思考回路にどのような負荷がかかるかをきちんと説明してくれる翻訳会社はまずないでしょう(そこをきちんと理解できていない翻訳会社も、けっこうあるのではないかと)。一度始めてしまえば(いろいろな意味で)後戻りするのは難しいと思いますので、やる/やらないは、自ら情報を十分集めた上で判断する必要があると思います。

 上で出てきた「リンギスト」は(翻訳とは異なる仕事であるとはいえ)、極めれば「だれにでもそこそこできる仕事」ではないと私は思います。翻訳会社にはそのことを十分認識していただきたい。そして、(十分な対価を払うことも含め)地位と職務の確立に努めていただけると嬉しいです。

 「顧客に納得してもらえない」という話を聞きながら思ったのは、「そもそも、顧客―翻訳会社―翻訳者の3者間のコミュニケーションが不足しているのではないか」ということ。もちろん、そんな関係のところばかりではないでしょう。うまく回っているところもあると思います。でも、翻訳者の側から、あるいは翻訳会社から不満が出てくるのは(そしておそらく顧客も(知らないがゆえの)不満を抱えていると想像)、コミュニケーションが足りていないせいもあるのではないかと。ただ、コミュニケーションには時間がかかります。日々の仕事をこなすのが精一杯で、「とにかく今をしのげればいい」となるのが実情かもしれません。少なくとも、私はそうなっています(この「今をしのげれば」というのは国民性なのか、人間のサガなのか、それとも私の怠惰のせいなのか……)。けれど、MTがさらに広がったときに新たな職種をきちんと確立するためにも、今時間をかけておくべきことなのではないかと思いました。

 正直、昨日の今日なので、自分の意見は十分咀嚼したものとは言えません。正しくないものもあるかもしれない。
 またいつか、MT(PE)について書くこともあるかもしれません。とりあえず、自分の記憶がまだ新しいうちにと思い、記事にしました。

 この最終行まで来てくださった方、長文おつかれさまでした(そしてありがとうございます)!
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Sayo

Author:Sayo
医学・医療機器和訳
循環器植込み系など好物
還暦を前に書籍翻訳メインにシフト中
『患者の話は医師にどう聞こえるのか』共訳
『医療エラーはなぜ起きるのか』5月刊
翻訳は楽しく苦しく難しいと実感
老体に鞭打って勉強に励む日々
翻訳について・書籍紹介・セミナー感想など
(2022年5月現在)

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